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子育てや離婚、恋愛についてなどを書いていきたいと思っています。

掛け持ち開始~別居にいたるまで

こんばんは😊

前回新しいパート先が見つかったところから書くと言っていたので、今回はそのことについて書いていきたいと思います。

 

もともと働いていたパート先ではなかなかシフトに入れてもらえなくなっていたので、違うパート先を見つけたのですが、そこでは子どもの熱が出ると代わりの人を探さないといけなくて、どうしても見つからない時はたまたま仕事が休みだった妹に見てもらうこともあったのですが、それでも無理な時は熱があっても子どもに解熱剤を入れて保育園に預けることもありました。

 

そしてある時次男が40℃を超える熱を出した時も休めなくて、その時にここでは無理だと思ってそのパート先を1か月も経たないうちに辞めました。

 

そして次に友人の紹介で友人の知り合いの人がいる新しいパート先で働き始めることになりました。

 

離婚も視野に入れていたこともあり、もともと勤めていたパート先はその話の進行具合によってやめようと思っていたのですが、そこではシフトには結構入れていたのですが、もう一つのパートとのシフトの調整もあってそっちに入れない時も新しい方のパート先の人がシフトに入れてくれていはったので働く分には特に何も問題はなかったのですが、1人どうしても受け入れがたい上司の人がいました。

 

すごく他の人を馬鹿にした感じの人で、シフトに関しても最初にもう1か所パートをしているから、もしそっちに入れなかったら追加でシフトを提出しても大丈夫かも確認していて許可も貰っていたのにそれについても後々になっていろいろ言われたりで、続けていくには難しいなと思い始めていました。

 

長男も小学校入学前だったこともあり、発達障害についても言われていたので学童に入れることも無理だと判断し、時間的にもそこを続けていくことは不可能な状態になっていました。

 

そして1月頃に保育園でインフルエンザが流行ったこともあって、最初に次男がかかって、次男が治った頃に私がかかって、やっと治ったと思ったら三男がかかって、そしてなぜかその合間に長男が溶連菌にかかって、やっとみんな治ったと思えば三男がインフルエンザが治って8日目にまた違う型のインフルエンザにかかってしまい、その間病院にも通いまくり、職場にも病院の領収書を見せないといけなかったので領収書もまとめて、この間2か月で片手で数えるくらいしか出勤できず、完全に全員が治って久しぶりに出勤した時に上に書いていた上司に呼び出されて、クビやし明日から来なくていいし病院の領収書ももう見せなくても良いと言われました。

 

その時に私ももともとそこで働く前に、子どもが熱を出したら誰にも預けることができないから休むことになるとしっかり伝えていて、それは仕方がないことだから全然良いよと言われていたのに結局全然良くなくて、もう最初に伝えていても結局何かあればクビになるんや、と思って外で働くことが嫌になってしまいました。

 

そして呼び出されてその話をされたときに、私も長男の発達のことでの呼び出しや、小学校入学にあたってそこで働いていくには厳しいと思っていたから今日辺りにでもやめようと言おうと思ってましたと話をしてそのパート先をその日付で辞めることになりました。

 

そしてやめた後にもともと友人の知り合いの人の紹介で働き始めた場所だったから、その人から止めようと思ったけど無理だった。力不足でごめんと謝罪の連絡がきて、私も全然シフトに入れていなかったからと謝罪をして終わりました。

 

幸いなことにあまりシフトに入れてもらえないとはいえ、もう一つもともと働いていた掛け持ち先があったのでそこをやめていなくて良かったなと思いました。

 

私たちがインフルエンザや溶連菌などで苦しんでる間も旦那はパチンコばかりだったので旦那に移ることもなく、私1人で看病などをしていた結果だったので、旦那にもクビになった経緯を伝えたら「また探したら良いやん」と言われたのですが、あまりにも子どもの熱などでクビになりすぎていて新しいパート先を探す気力もなく、しばらくは元のパート先だけでやっていくことになりました。

 

そうこうしていると旦那との離婚が決定して、お互いに恋愛は自由にしよう。そして私のパートが安定するまでは籍はこのままにしようとなって、その時にお互い恋愛が自由なら私にも平等に時間をくれるべきではないのかと話したら「嫁は我慢して当たり前、嫁は我慢するもんやろ?それに俺が居心地が良いと思える家にしいひんかったお前が悪いんやし」と当然のように言われて、それでもその件については何とか納得してもらったはずなのに、ある日私が1人で出掛けられるのなんて年に1~2回あるかないかで、ひどい時なんて1度もなかったのに、たまたま旦那に子どもを預けて1人で出掛けると家に帰ってきたらすごく不機嫌だったり、他にも久しぶりに中学校時代の友人や先生と同窓会があるから呑みに行っても良いか聞くと、

「俺も今日は予定あるし1時間だけなら良いで」と言われ、

移動時間も必要なのに1時間では無理やと話したら「じゃあ諦めたら。」と言われ、

自分は毎日どこかしら遊びに行って、結局私に平等な時間なんて1回もくれてないんやし、たまには私に譲ってくれても良くない?って聞くと、

「もっと事前に言っといてくれたら良かったのに」と言われ、

じゃあもう1時間で帰ってくるし自分も1時間で帰ってくるんやんな?と聞くと、

「なんで?」と言われたので、

お互い譲れないんやしそれなら平等で良くない?って言うと鼻で笑いながら

「は?謎理論過ぎ」と言われ、結局旦那に頼るのはやめて私の妹にお願いしました。

 

そしてそれからもしばらくは一緒に住んでいたのですが、さらに旦那は帰ってこなくなりました。

ごはんを作っていてもその日にいらないと言うことが増えて、最低限いらないなら前もって伝えるべきじゃないか?と話をした時に新しく彼女ができたと知り、それでも一緒に住んでる以上は最低限連絡は事前にするべきやし、結局私との約束は何1つ守られていないのだから洗濯もごはんも全てが馬鹿らしくなって、今日からお金さえいれてくれれば帰ってこなくて良いよ。もうご飯も作らへんし。と話してその日から旦那は自分の実家に帰り別居生活がスタートしました。

 

そしてその数か月前に働いていた職場も建物自体が潰されてしまうことを知って、また新たにパートを探し始めることになりました。

 

次回は新しいパート先や長男小学校入学後の様子や、別居生活について書いていきたいと思います😊

 

長男幼稚園入学〜一時保護、その後保育園へ

あけましておめでとうございます✨

なかなか更新できていなかったのですが、今日から更新していこうと思います。

今日は長男が幼稚園へ入学した頃からその後の生活について書いていきたいと思います。

 

前回書いていたように幼稚園の入学準備はすごくバタバタしていました。

制服や体操服、お道具箱など色々な指定のものにお金も飛んでいき、登園バスの申し込みなどもあってバタバタしっぱなしでした。

 

そしていよいよ4月に幼稚園の入園式があって無事に入園式を終えて幼稚園に通う生活がスタートしました。

 

まず産後2か月ほどで月経が再開して、以前よりも月経痛や月経前の症状がきつくなっていたため朝が起きれなくなったり、体調を崩しやすくなっていたりで朝のバスの時間に間に合わなかったり、他にもストレスで身体がおかしくなっていたりで毎月ある参観などでも途中で倒れたりと、長男が幼稚園に入園してからは良いことが全くなくてとても大変でした。

 

そして夏休みに入ってその最終日の日にあることが起こりました。

私が掃除機をかけている時に次男がガスコンロを水浸しにしていたことがきっかけでした。

毎日いろんなことに追われていてその時はいっぱいいっぱいで、毎日どんなに片づけても散らかされ、ごはんを食べさせるにもなかなかうまいことすすまず、お風呂も3人入れるには2時間ちかくかかって、旦那は相変わらず毎日パチンコで帰ってこず、何も手伝わずで水浸しになったガスコンロを見た時に近くにあった子ども用の椅子を勢いよく避けた時に長男の顔の目の下に当たってしまい、その時長男は泣いていたのですがいっぱいいっぱいで怒っていた私は気づかなかったのですが、長男は怪我をしていました。

 

その日たまたま帰ってきた旦那がそれに気づいて長男と次男を連れて自分の実家へと帰っていきその日は三男と2人で過ごして、次の日が幼稚園だったこともあり朝に長男を連れて帰ってきたのですが、怒っていたとはいえ狙って当てた訳ではなかったこともあり、朝のバスの段階で先生に事情を伝えて幼稚園へ連れて行ったのですが、その日から長男が帰ってくることはありませんでした。

 

午後に児童相談所から連絡が入って長男を一時保護したと言われ、夕方から面談をするから長男の荷物を持ってきて欲しいと言われ、旦那にも話して面談に行きました。

 

そしたら虐待になるから一時保護すると言われて、長男に会えるのもいつになるかまだ分からないし、家に帰すかどうかもいつになるか分からないと言われ、その日からどうしたら長男を帰してもらえるかも分からなかったので、寝る間も食べる時間も全てを削って次男と三男のことはしていたのですが、それ以外は児童相談所についてひたすら調べて、調べていくうちになかなか帰してもらえないという情報ばかりが目についたためすごく不安になり、本当に帰してもらえるのか?と児童相談所に問い合わせの電話を掛けて、ひたすらどうやって帰してもらえたかとネットで情報を調べていました。

 

そして三男の1歳の誕生日が近かったこともあり、面談の時に初めての誕生日やからみんなで一緒にお祝いしたいと伝えて、ネットでは一切取り乱したり泣いたりせずに全面的に認めないと、精神疾患があるとして帰してもらえないこともあるとあったので、全面的に認めて自分がイライラした時などにどういった対処をすれば良いのかの書類を手書きでまとめて提出して、家庭状況も旦那のことも包み隠さず話しました。

 

それでも夜も眠れず、ごはんも食べれずで1週間で5kgは体重が落ちて眠ることもできていなかったから体調も良くなくて、家に引きこもっていたからそれに見かねた妹たちやその頃妹が付き合っていた妹の彼氏が子どもたちと私を外に連れ出してくれたり、ごはんに誘ってくれたりしてなんとか面談の時はそういった様子を一切見せることなくやり過ごすことができて、ようやく長男が連れていかれて14日目に長男と面会することができました。

 

そして帰り際に長男が「僕もママとパパと一緒に帰りたい」と泣きながら訴えてきて、もう一度いつ帰してもらえるか確認をしてからその日は家に帰り、後日明後日には帰せることになったから迎えに来て欲しいと児童相談所から連絡があり、連れていかれて16日後にやっと長男が家に帰ってくることになりました。

 

そして長男を迎えに行って家に帰ってきたときに長男が「一時保護施設にいたお兄ちゃんにお腹を蹴られた」と話していて、面談の時にそのことについて確認したんですが、曖昧な感じでその話は終わってしまいました。

 

長男が連れていかれたときに、旦那や実家の母からもすごく責められて、誰も何も手伝ってくれるわけでもないし、旦那に至っては全く何もせず任せきりにしておいてよく人のことだけ責めれたなと思ったのですが、それからはもう何も気にしなくなり全てを諦めました。

 

それから日常に戻り、旦那は相変わらずパチンコに行って帰ってこなかったのですが、無事三男の誕生日も一緒に祝うことができました。

 

そして長男は幼稚園に戻ったのですが、長男が連れていかれた時に何の対応も連絡すらしてくれなかった幼稚園を信用することもできず、しまいには「お母さん、大丈夫やから・・・」と訳の分からない慰めをされて幼稚園をやめて保育園に入れることに決めて、そのために働くことを決意して動き始めました。

 

その間に児童相談所から1度だけ家庭訪問があったのですが、その時に子どもたちが机に乗っておもちゃを担当やった人に投げつけたり、飛びついたりしていたため、「これはお母さん大変ですね・・・イライラするのも分かります」と言われ、もともと面談の段階で長男に発達障害があるかもしれないと言われていたので、児童相談所から紹介された病院の精神科に連れていき、そこで先生に「5才ならこんなもんやし、もういっそのこと開き直って保育園に入れるなら児童相談所の力を使ったら良いと思うよ」と言われ、その頃は近所の保育園は待機児童が増えて保育園に入りにくくなっていたため、児童相談所の担当の人に保育園に入れたいと話して、書類を書いてもらいその書類と一緒に保育園入所に必要な書類と一緒に提出して、無事4月から希望の保育園に入れることになりました。

 

そうして4月の入所式を無事に終えて、保育園に入所してから仕事も探し始めて無事仕事も決まって働き始めました。

 

その後児童相談所とも初めは月に1度面談が続いたのですが、旦那は何も変わらないことも話したりしていたのですが、そのうち3か月に1度になっていき、その状態が1年半か2年ほど続いて、その間に3回も担当の人が変わって最後の担当だった人にいつまで面談が続くのか確認したら後日の連絡で面談の終わりを告げられて、面談もなくなっていきました。

 

そして旦那は相変わらず何も変わらないし、1度たまたま家にいた日に私がお風呂に入るから子どもたちを見ておいて欲しいと頼んだ時に長男と次男が赤ちゃん用の爪切りでお互いの前髪を切りあっていたことがあって、その間旦那はケータイでゲームをしていて子どもを見ていなかったこともあり、もう基本的には何も頼まなくなり、パートも子どもの熱があれば必ず私が仕事を早退したり休んだりして対応して、子どもが熱が出た時も怪我をした時も「熱がでたからって何もしてあげれへんねんし」と言いながらパチンコを優先されていて、私が扁桃腺が膿んで40℃を超える熱が2日連続で続いてその他の日でも39℃台が続いていても子ども3人私に任せてパチンコを優先されていて、もういつか離婚しようと決意して、パートは店長が変わってシフトも削られたりしていたため、もう一つ掛け持ちをすることにして新しいパート先を探し始めました。

 

次回は新しいパート先が見つかった頃からについて書いていこうと思います😊

 

三男妊娠中のできごと〜出産、長男幼稚園への準備

こんばんは😊

前回は三男の妊娠が発覚してパートをやめたところまで書いたので、今回は三男の妊娠中からについて書いていきたいと思います。

 

三男妊娠の時は長男も次男も保育園に行っていたため朝送って行く時はばたばたしていたのですが、日中はまだ1人でゆっくり過ごすことができていました。

 

それでも自転車には乗れなくなったので車を買うことを決意して、旦那にはまたいらないと言われたのですが三男が産まれてからのことを想定するとどうしても必要だったので、私の友人に車屋さんを紹介してもらい、なんとか車を買うことができたので日中は友人に隣に乗ってもらい運転の練習をしたりして過ごしていました。

 

そして検診の日に初めて1人で運転して行けたことをきっかけに運転もできるようになりました。

 

そして相変わらず旦那は何も手伝ってはくれなかったので上の子たちの育児も毎日私1人でしていて、それでも車を乗れるようになったことは大きくて保育園の送り迎えや買い物などがだいぶ楽になりました。

 

あと今回は悪阻もそんなにひどいこともなくなんとかやっていくことができていたのですが、上の子たちもまだ小さかったこともあり、抱っこしたりなんやかんやばたばたしていると、だいぶお腹が大きくなってきたある日の検診で「お腹の張りが強く、子宮頚管も短くなってきているからこのままやと入院になるよ」と言われて旦那に話したのですがそれでも何もしてくれず、実家の父が保育園の送り迎えを手伝ってくれていました。

 

そしてあと少しで10か月という時期に入った頃に検診に行った時に、「もうあかん、これ以上は危ないから今日から入院してください」と言われ、切迫早産で入院することになってしまいました。

 

子どもたちは私の実家が送り迎えをして、夜ご飯などは旦那の実家で食べたりとしていたみたいで何とかしてもらっていて、時々お見舞いに来てくれたりでその生活が正期産に入る頃まで続き、退院する時にお医者さんに「とりあえずはどうしてもと言うから退院してもらうけど、子宮口がもう7~8cmも開いているからいつ陣痛がきてもおかしくないし、下手したらトイレで生まれてしまってもおかしくないから少しでも痛いと思ったらすぐに病院に来てね」と言われ退院をして、上の子たちの送り迎えは実家の父に手伝ってもらいつつ過ごしていたのですが、なかなか本陣痛がくることはなく、前駆陣痛ばかりがきていました。

 

そのため旦那にも産まれるまでは上の子たちもいるから何かあった時にすぐに家を出れるように家にいておいてほしいと伝えていたにも関わらず、「何かあったらすぐ帰ったら良いんやろ」と言いながら毎日パチンコへ行き、結局私の父がお酒を飲むのを控えていてくれていました。

 

そしてある日父と母に検診に連れて行ってもらい、病院の先生に前駆陣痛ばかりで痛いしその日のうちに産みたいと言って刺激をしてもらった帰りにすごい痛みに襲われました。

 

最初は刺激してもらったからだと思っていたのですが、間隔を計っても全く規則性がなくて、また前駆陣痛やと思いそのまま上の子たちのお迎えに行きました。

 

それでもまだ痛かったのでもう1度病院に連れて行ってもらったら、受付の看護師さんに少し待っててほしいと言われたのですが、慌てて別の看護師さんたちがこっちに近寄ってきて、「こんなところで待ってる場合じゃないので」と言われ、すぐに上の階の陣痛室に案内され、その時にトイレに行きたいと伝えたら「絶対ダメ!産まれてしまう」と言われ管を通されて、やっと先生がきて診察をしてもらうと子宮口は9cm開いていて、それでも三男の顔の向きが少し良くなかったみたいでその位置を直してもらい、無事に陣痛が始まりました。

 

そして夕方には三男が無事に産まれて、2時間分娩台で待機している時にすごく血が出ているなとは思っていたのですが、こんなもんかと思い放っておいたら2時間後に先生がきて見てもらうと、「出血量が多すぎる」と言って急いで子宮内にバルーンを入れられて、トイレもダメと言うことで尿管に管も入れられ、車椅子で部屋に戻ることになりました。

そしてその日はベッドから起き上がることなく過ごして、次の日に先生に診てもらってようやくバルーンを抜いてもらい、その日から母子同室が始まりました。

 

そして入院生活中1度だけ何の連絡もなく旦那が来ない日があって、子どもたちを預けてパチンコに行っていたことが分かり少しイラっとはしたのですが、もう諦めていたので何も触れずに無事退院してまた日常が始まりました。

 

最初1週間はまた実家に来てもらっていたのですが、その後は全て1人でしなくてはいけなくて1番困ったのはお風呂で、三男のベビーバスが無理になった頃から一緒のお風呂になったのですが、上の子たちも一緒に入れないといけなかったのでお風呂だけでも2時間近くかかり、三男を洗ってベビーバスの中で待ってもらい、長男次男を洗ってから浴槽で待ってもらっている間に急いで私も洗って、冬だったため私は寒い中最後に拭いたりするため、まず三男を上げて拭いて服を着せてから長男次男を順番に上げて拭いて服を着せてドライヤーをして、全て終わってようやく私も拭いてから服を着て、必要な時はすぐに三男に母乳をあげて、それが終わってからドライヤーなどを済ませてやっとお風呂が終わりだったのですごく時間がかかりました。

 

そして三男が生後2か月経った頃には私も仕事をしていなかったため上の子たちの保育園を続けられなくなって、長男だけ幼稚園へ入れることになってその準備に追われ始めました。

 

幼稚園は私立だったためまず願書を取りに行って記入をしてから願書を提出して、その後に面接があり面接も行ってしばらくしてから無事4月入園が決まって、それまでに制服や体操服など指定の物の購入があったり、説明会があったりでバタバタと過ごしていました。

 

次回は幼稚園入学から書いていきたいと思います😊

 

 

二人目出産後から〜パートと3人目妊娠

こんにちは。今回は次男出産後からについて書いていきたいと思います。

 

次男出産後は比較的穏やかな入院生活を送って、経産婦だったため1人目の時のようにあたふたとすることもなく過ごせました。

 

そして出産から4日目に無事に退院することができて、自宅へと帰宅しました。

 

自宅へと帰ってからは1週間は実家の父と母に家事や沐浴などを手伝いにきてもらったのですが、それ以降は1人で全部することとなり、毎日長男と次男の育児に追われて生活していました。

 

それでもなんとか3ヶ月目が終わり、少しずつお出掛けもできるようになってきたのですが、旦那は月に1度だけのお出掛けの約束もだんだんと勝手に無くされ、出掛けても移動中はケータイでゲームをしながら歩いたりで、着いても「まだ?早く帰ろ。俺は帰ったらパチンコ行くし。」と言うから晩御飯は?と聞いたら「ごはん?そんなん帰ったら作れば良いやん。」で終わり、もうお出掛けすらも諦めてしまいました。

 

それでも旦那は相変わらず毎日仕事終わりにはパチンコへ行き、休日は朝から晩までパチンコ三昧で、私だけが全てに追われていました。

 

そしてさらに何もしなくなり、そのことについてももう少し手伝ってほしいと言っていたのですが何も変わらずで、次男のことも新生児の頃からずっと「俺は次男よりも話し始めた長男の方が可愛い」と言って、ほとんど抱っこをすることもなく、もっと抱っこして見てあげてと伝えても変わることはなく時が過ぎていき、私は毎日寝不足と長男の育児でだんだんと余裕もなくなっていきました。

 

そして長男出産の時に嘘をつかれていたことから、私は旦那を朝起こすことも見送ることもやめていたのですが、ある日旦那が朝寝坊をすることが続いていた時にケンカになって、「お前が朝起こしてくれたら良いのに、お前が起きひんから俺が遅刻するねんし、起こしてくれへんお前が悪い。俺だってストレス溜まってるねん。それに家に帰ってきたいと思わせへんお前が悪い」と言われ、私の中では毎日パチンコに行って、自分1人で楽しく過ごして、家のことも子どもたちのことも何も手伝わへんくせに、なんで私がここまで言われなあかんの?しかも朝起こさなくなったのは最初に自分が嘘をついていたからもう二度と起こさへんって伝えていたし、子どもじゃないのになんで私が旦那のお世話までしないといけないのか・・・と納得もできずでいろいろ反発もしたのですが、全く話にならずでした。

 

そして、「俺が働いてるおかげでごはんが食べれてるねんし」と言われたので、「じゃあそのごはんが形になって出てきているのは?きれいになった服が着れているのは?子どもたちが怪我もなく順調に育っているのは私が1人で全部動いているからじゃないの?」と聞いたら、「洗濯ができるのもごはんが食べれるのも子どもを育てられるのも全部俺が働いてるおかげやろ?、お前は良いよな。日中家で子ども見てるだけで好きに過ごせるし寝れるんやし。」って言われて、この人の中では全てを嫁1人がするのが当たり前で、私が何の苦労もせず子どもも勝手に育ってると思ってるんやろうなって思うとすごく腹が立ち、長男が5か月に入る頃に4月入園ができるようにするために保育園の入園書類を市役所に取りに行き、保育園に入れるためにパートを探し始めることにしました。

 

そして12月くらいに私の知り合いが、以前勤めていた職場にパートとして戻るからもし良かったら一緒に働かへん?と声をかけてくれて、4月入園までまだ時間があったため、1月頃から土日だけ長男と次男を旦那に預けてパートに出ることになりました。

 

そしてその間の旦那は、毎日金曜日の夜はパチンコ屋に閉店までいたり、友人たちと遊んだりで、私がパートに行く時間にも起きてくれず、それでも遅刻するわけにはいかないから、無理やり起こしてパートに出て、帰宅したら近所の人に長男が1人で勝手に外に出ていたから、危ないしちゃんと見てあげて。と言われて、旦那に確認しようと思って家の中に入ると旦那は爆睡。

正直2歳の息子が1人で勝手に家を出ても気づかなかったことに対して殺意すら湧きました。

 

そんなことが多々あったので友人に家に来てもらい、旦那が爆睡している中で友人が子どもたちを見ていてくれることもありました。

 

そしてやっと保育園の入所が決まったのですが、家から結構遠い場所になってしまい、免許を取りにいくことを決意して、4月になり長男が2歳9か月、次男は10か月で保育園に通わし始めて、保育園が遠かったこともあり子どもと通える教習所を探して、パートが休みの日と土日をつかい、子どもたちを連れて教習所へ通い始めました。

 

ほとんど毎日送迎バスが迎えに来てくれる家から徒歩20分の距離を、長男が2歳だったため40分くらいかけて長男には歩いてもらい、次男はベビーカーに乗せて歩いていき、そのあとは教習所の託児所に子どもたちを預けて教習所生活を送り、無事2か月で教習所を卒業して、1度目の本試験にはあと3点足りずで落ちてしまったため、二度目の本試験を受けに行き、無事に合格することができてやっと免許を取得することができました。

 

そして旦那に車を買いたいと伝えたら、「車なんか俺は実家に借りれるしいらんやろ。」と言われたので、

私は「保育園遠いし自転車にお布団とか荷物とか子ども2人も乗せてたら重いし乗り切らへんし、呼び出しとかがあった時もすぐ行けへんから無理やで。真冬になったらきついで。」っと言ったら、

「誰か近所の人に送り迎えの時は乗せて行ってもらったら良いやん。それか布団とかだけ乗せてもらったら?」と言われ、

「そんなん無理やろ。普通に考えて時間が合うかどうかも分からんし、まず自分の子どもやのになんでそんな他人任せなん?」と言うと

「車はお前が楽するために欲しいんやろ?やったら自転車か歩きでしたら良いやん」と言われ、

「じゃあ自分は自転車か歩きで送り迎え毎日できるんやんな?そんなに言うなら自分がしたら?」と言ったら、

「俺は無理。それに俺は車借りれるし」と言うので、「じゃあ実家に車借りて自分がしたら?」と言うと「それは無理。お前の仕事やろ?」と言われて話にならず、もう諦めて仕事の日以外保育園に連れて行くのもやめることにしました。

 

そしてある日仕事中に保育園から職場に子どもたちが熱があるから、今から迎えに来てほしいと連絡があり、仕事を早退してお迎えに行って2人とも高熱が出ていたからその日のうちに病院に行って、プール熱と診断されたため、感染症で人に移るから1週間くらいは保育園に行ってはいけないと言われ、シフトは決まっていたのですが子どもたちが保育園に行けないから無理やと思い、その日のうちに職場に連絡をしてその時は休ませてもらえたのですが、無事治ってからも次男がまだ小さかったこともあり、体温調節も下手だったためしょっちゅう呼び出しがあって、熱、下痢などで出勤した途端に保育園から連絡が来たりとかも増えていき、その度私は早退したり仕事を休んだりして、ある日次男の熱で仕事を休んだ日に高熱だったため、次の日も保育園に連れて行けないと思い、旦那が仕事が休みの予定やと分かったので、私は明日パートがあるから子どもたちを見ておいて欲しい。と言うと、

「たかがパートやねんし休んだら良いやん。俺は明日はパチンコやし」と言われ、結局私が休むことになり、こんなことが何回も続いた結果7月頃に職場から「もうそろそろ考えて」と言われてしまい、気が付いたら退職届を書かされて職場をクビということになってしまいました。

 

そしてパートをやめてからは次のパート先を探して、9月頃にやっと次のパート先を派遣で見つけて、ちょうどその時に知り合いから車も安くで譲ってもらえたのですが、免許を取ってから結構時間が経っていたこともあり、いろいろあって3日くらいで廃車にしてしまい、次の職場への出勤日を1週間先に延ばしてやっと仕事を始めました。

 

その仕事は想像していたよりも重労働で、保育園の送り迎えからそのままパートで働いてを繰り返していたらたった3日ほどで体重も3kgくらい落ちて、もともと痩せていたから貧血などで余計にフラフラになってしまい、家に帰るとしばらく休憩をしないと何もできないくらい疲れ果てて、ごはんもお風呂も全部が遅くなっていきました。

 

そしてその期間私は1度も旦那に子どもを預けることもなく過ごしていたら、12月頃に妊娠が発覚して、子どもの保育園の転園届けを出して自宅の近くの保育園にしてもらって、そのままパートを辞めることになりました。

 

この続きはまた次回書いていきたいと思います😊

 

長男出産後からその後の生活その②~次男妊娠・引っ越し・入院・出産

こんばんは。今回は前回の続きを書いていきたいと思います。

 

前回2年更新はできないと大家さんから管理会社に言われ、私たちにもその通知が来たのですが、実はその頃次男を妊娠していました。

 

幸いなことに、長男の時は吐き気悪阻で何も食べれなくなり、匂いもダメになって1か月経たない内に体重が8kgも落ちたのですが、次男の時は吐き悪阻だったためごはんは食べれたし、ただ吐くだけで長男の時ほどひどくはありませんでした。

 

この頃には旦那は長男を放置して、毎日パチンコへ行っていました。

 

私も悪阻や長男の育児や引っ越しなどのこともあり、すごく不安定になっていて度々ケンカになって、ある日もう私への愛情はなくなって冷めてしまったのかと聞いた時に、「男には何も理由がなくても冷める時期があるねんししょうがないやん・・・」と言われて、この人には何を言っても無駄やし子どもにも私にも愛情なんてないんやと思い、しばらく話さない日々が続き、その間私は長男を1人で見て、時には歩いている時に悪阻で道端で嘔吐する日が増えていき、長男が不安そうに私を見ていることも多々あったのですが、なんとか悪阻の時期を乗り越えてついに府営団地への申し込み時期がきたので、実家の父に応募する会場まで送ってもらい、無事府営団地に応募することができました。

 

そしてしばらくして府営団地が当たったという知らせが来て、引っ越しの準備を少しづつ始めていったのですが、高校生になってから滅多に出ることがなかった喘息がある日また出はじめて、産婦人科で点滴を打ってもらったり薬をもらったりしながら過ごしていたのですが、ある日の夜中にすっごい息が苦しくて、呼吸をすることもしんどくて、すごく眠いのに横になると苦しくてどうしても我慢できなくなり、旦那に苦し過ぎて息ができないから今すぐ病院に行きたいと伝えたら「カトレアは大げさ過ぎ、どうせ大丈夫やろ」と言われ、それでもあまりに苦しかったから泣きながら病院に行きたいと伝えたら、すごくイライラしながら義母に電話をし始めて、そのまま旦那は眠りについて、私は義母に病院に連れて行ってもらうことになったのである程度用意をしていたらすぐに迎えに来てくれはって、車で「可哀そうに、本間に苦しそうやな」と言われ、無事産婦人科に到着してその日は点滴のため、入院することになりました。

 

そして翌日退院してそのまま総合病院に行き、喘息の吸引器をしてもらい、吸引器の薬などをもらって帰宅しました。

 

そこからはまた長男を見ながら引っ越しの準備に追われ、そうこうしていたら検診の日に切迫早産気味やからということで、病院からウテメリンの飲み薬が出されて、安静指示が出てしまったので、旦那にそのことを伝えて引っ越しの準備を手伝ってほしいと伝えたら、「分かったでー、また適当にするわ」と言ったにも関わらず一向にする気配もなく日にちだけが過ぎていき、その間にも何度ももう間に合わないと伝えたにも関わらず、結局何もしてくれず私が全部準備をすることになってしまいました。

 

そして無事引っ越しが終わって、片付けもほぼ私1人ですることになって、もうそろそろ次男が8か月に入る頃だったので衣装ケースなどの準備もしたいから衣装ケースを買いに行きたいと伝えたらこれも返事だけの「分かったで」だけで、結局義母と衣装ケースを買いに行って、旦那は何もしてくれずで、だんだんお腹の張りも強くなっていき、ついに検診の時に「子宮頚管が短くなっているから、もうこれ以上はあかん、今すぐ入院してもらいます」と先生に言われてしまい、1度荷物を取りに帰らせてほしいと言ったのですがダメやと言われたので旦那と実家に連絡をして、長男は実家に預かってもらい、旦那に荷物を持ってきてもらい入院生活が始まりました。

 

入院生活では、トイレ以外立ち歩いてはいけないと言われ、座るのも食事の時だけ。

点滴も何日間もずっと刺しっぱなしで、シャワーも許可がないと入れず、それでもあまりにもお腹の張りが治まらず点滴の数値が上がっていき、副作用の手の震えが出はじめて、最終的にはマックスまで点滴の数値が上がり、シャワーもほとんど許可が出ることはなく、それでも張りが治まることがなかったのでついに総合病院へと転院することになりました。

 

歩くこともだめだったため車椅子で病院内を移動をして、救急車で総合病院へと移動することになり、総合病院に着いてからも車椅子での移動となり、その頃はもう何が何だか分からずで、副作用もしんどいし、お腹も張って痛いし、点滴の針も痛いし、そのうち点滴をし過ぎて打つ場所がなくなっていき私の両腕は針の痕まみれになり、点滴薬が漏れて腕がパンパンに腫れたりもしながらもなんとかやり過ごしていたのですが、やっぱり長男ともこんなに離れたことがなくて心配やし、動くこともままならなかったので余計にストレスとなっていました。

 

でも実家の父母や義母や友人達もたくさんお見舞いに来てくれて、周りの人は赤ちゃんを産んで入院していはるのに、私はまだ産んでいないのに何でここにいるんやろう・・・って思うことも多々あったのですが、みんなで励ましてくれたりで、無事正期産に入る頃には退院することができて、すぐにもともと通っていた個人病院の方にも診察に行き、そこからは元の日常に戻ることができたました。

 

そしてある日また旦那が仕事の帰りに事故ったと連絡が入り、今回は足の骨折だけだったのですが、自宅やと不便やし私ももういつ陣痛がきてもおかしくない頃だったこともあり、私たち家族3人でしばらく旦那の実家でお世話になることになりました。

 

そしてその数日後に私もおしるしがきたのですぐに病院に行って、子宮口が8cm開いていたこともあり、即入院となったのですが胎児の顔の向きがあまり良くないとかで微弱陣痛が続き、結局その日の夜は本陣痛がくることはなく眠りにつきました。

 

そして翌日になってもなかなか本陣痛が来なくて、だいぶお腹の中の赤ちゃんが下がってきていたこともあり、先生が胎児の顔の向きを直してくれはることになり、直してもらってからはすぐに本陣痛が始まったため、実家や旦那に連絡をしてすぐに実家の父母が来て、本格的に1分間隔の陣痛が始まって5分くらい経った頃に旦那が長男を連れて病院にきて、その5分後くらいに旦那立ち合いのもとに次男が誕生しました。

 

2回目の出産は会陰切開をしてもらえたため、長男の時みたいに裂けることも腫れることもなく、本陣痛がきてからも10分くらいしか本気で痛いともならなかったしで1回目とは比べ物にならないくらい楽なお産でした。

 

それでも妊娠生活としては2回目の方が大変だったため、やっとでてきてくれた!という気持ちの方が大きくて、やっと少し安心することができました。

 

そして2年ぶりの新生児だったため、懐かしさが少しあって、長男の時を思い出しながら入院生活を送ることができました。

 

続きは次回書いていきたいと思います。

読んでいただきありがとうございました😊

長男出産後の入院生活からその後の生活①

こんばんは。今日はこの間の記事の続きを書いていくので、よろしくお願いします✨

 

 

長男出産後は5日間の入院だったのですが、産んだ日は分娩台に2時間待機をして、その後すぐに部屋に戻ったらまず最初にトイレに行こうって看護師さんに言われたのですが、怖くて心の準備が必要なので、あとでにしてくださいとお願いして、長男は新生児室に預けられて、私は自分の部屋へと戻りました。

 

それからしばらくして、トイレをするから看護師さんを呼んで無事トイレを終わらせて、「明日の朝に赤ちゃんを連れて来るから、今日は1人でゆっくり休んでね」と言われたのですが、興奮状態だったのか全然寝付くことができずにいました。

 

そして少し眠って、朝になって目が覚めてからもなかなか赤ちゃんを連れてきてもらえなくて、自分で新生児室に行こうと思い立ち上がったのですが、出産の際に赤ちゃんが出て来る部分がきつく裂けたこともあり、立ち上がっただけで息切れをしてフラフラになっていました。

 

そして無事新生児室に辿り着き、あまりのフラフラ具合に看護師さんが車椅子を用意してくれはって、そのまま赤ちゃんと一緒に自分の個室へと戻りました。

 

そして裂けた部分の腫れがあまりにひどいということで、冷やすものをもらい、それでも痛くて椅子に座ることすら辛くて、円座がないと座れない状態でした。

 

あとは母乳をあげる時の後陣痛も痛くて、出産後もこんなに痛いんや!と衝撃を受けたのですが、それでも長男が可愛くて、「いつでも預けても良いよ」とは言われていたのですが、どうしても同室が良くて、頑張ってオムツ替えや授乳などをして、1日に何回も新生児室へ行き、赤ちゃんの体重を測っては母乳の出具合を確認したりしながら過ごしていました。

 

そして4日目の退院前日の日に、私の傷の治り具合などの診察があったのですが、あまりに腫れが引かなくて、溶ける糸だったはずなのに抜糸をされました。

 

そしてやっと5日目の午前中にお義母さんに迎えに来てもらい、無事長男と共に退院して家に帰ったのですが、家の中を見て絶句でした。

 

ゴミは置きっぱなし、洗い物もそのまま、家の中もぐちゃぐちゃで、ごみ捨てすらされていなくて、思わず舌打ちが出たくらい酷いものでした。

 

その後家の片付けと掃除をしていたのですが、掃除をしながら、なんで入院前は毎日掃除機もかけて床拭きもしていたのに、2人の子どもを産んだから入院していたのに、家に帰ってきた途端これか・・・とショックを受けました。

 

なんならもうショックを通り越して、怒りすら沸いてきたし、呆れる気持ちもあったしで、何も言わず無言で片づけるしかありませんでした。

 

そのあとに私の友人たちがお祝いに来てくれたのですが、旦那は一切お礼などを言うこともなく、漫画を読んでいるだけでした。

 

それから旦那は、子どもが産まれたからという理由で職場の人が夏休みとして、1週間ほど休みをくれはったのですが(後にこの休みを1日少ない日数で私に伝えていたことが判明)、産後すぐだったこともあり、1か月間は私の母と父が沐浴や家事などを手伝ってくれていて、その間私と旦那も沐浴のやり方を覚えたりして過ごしている内に旦那の休みが終わり、私の日中は大体が実家の父と母か、たまに大学が同じだった友人たちがお祝いに来てくれたりして過ごしていました。

 

抜糸した後の傷に関しては、結局1ヶ月半くらい痛みが続き、溶ける糸だったため抜糸で取りきれなかった糸が刺さっていたのも原因だったので、シャワーを浴びながら自分でその糸を抜いたりもしていました。

 

そして長男と私の1ヶ月検診も終わり、旦那はオムツ替えや沐浴などはまだたまに手伝ってくれてはいたのですが、基本的にうんちをしたりすると私に指示するだけで、ほとんどは私がしていました。

 

それでも長男にはトイレも母乳も、何をするにも全部私がいないと何もできないんや、という思いがあったし、それすらも愛おしいと思っていたので、そのことに関しては全然良かったので、時々揉めたりすることはあったのですが、それなりに平和に暮らしていました。

 

そして長男が産まれて半年が経った頃に、何かと旦那の態度が怪しくなってきて、私が通るとケータイを自分の方に隠したり、何かと違和感を抱く点が多くなり、浮気でもしているのかと思い、夜中旦那が寝ている間にこっそりとケータイを見たら、半年間で有休が10日間あったのですが、それを子どもが産まれたらパチンコはやめると約束していたのにも関わらずパチンコに行ったり、友達と遊びに行ったりするのに使っていて、そのうえ産後すぐにもらった夏休みも私には1日短く伝えてパチンコへ行っていたし、土曜日も仕事に行くフリをしてパチンコに行っていた事実を知ってしまいました。

 

今まで私は仕事やと思っていたから、自分が眠くても朝起こして外まで見送っていたし、お金の管理も何も言わずに任せていたのに、一気に裏切られた気になって、バカらしくなってしまい、その日の朝は普通に見送ったのですが、旦那が仕事から帰ってきてすぐにそのことについて聞きました。

 

そうしたら、「なんでそれを知ってるん?もしかしてケータイ見た?」って聞かれたので、最近怪しかったからケータイを見たということを伝えて、旦那がそうやって遊んでいる間も、私は夜中でも長男が起きて泣いたら授乳をしたり、寝不足でも毎日長男を見ているのに、私にも子どもにも悪いと思わなかったのか?と聞いたら、「子どもには悪いと思ったけど、カトレアには何も思わへんかった」と言われたので、すごく腹が立ちました。

 

仕事の日は私が朝は起こしていたのに、旦那は2時間くらい前から起きもしないのに目覚ましを鳴らし続けていたので、私は眠いのにそれで目が覚めてしまうからやめてほしいと何度もお願いしたのに、「これは起きる努力をしてるねんからしょうがない」と言って全然やめてもらえず、すごく眠い中でも起こしていたし、長男を育てながらも旦那が帰って来るまでに家の事をして、帰ってきたら温かいごはんが食べれるようにごはんを作ったりもしていたのに、「ごはんの品数も多いし、そんないらんし」と言われ、今までやってきたことが全て否定された気持ちになって、もう全部やめようと思い、朝起こして見送ることもやめ、家事だって自分のペースですることにして、ごはんだって品数を1品くらいに減らし、お金の管理も私がすることになりました。

 

あとは約束事を決めて、せめて月に1度は家族でお出掛けしようってなって、一度夜に「ちょっと出掛けて来るわ、すぐ帰って来るし!」と言っていたのに、2時間経っても3時間経っても帰ってこなかったこともあり、せめて日付が変わる前には帰ってくること、という約束をして日々を過ごしてました。

 

そして長男が1歳になる頃に、旦那が車の免許を取るために16日間合宿に行くと言い出したので、そのことを当時高校生やった妹と幼馴染の子に話したら、しばらく私の家で寝泊まりをしながら学校へ通ってくれることになり、夜は長男と一緒にお風呂に入ってくれたり、私が家事をしている間は長男と遊んでくれたりと、すごく助かりました。

 

そして合宿を終えて旦那が帰ってきて、日常へと戻っていったのですが、何もしてくれないし、やりにくさを感じつつも日中は私の友人達が長男に会いに来て遊んでくれたり、私の話を聞いてくれたりしていたのでどうにか平和に過ごせていました。

 

あともう一つどうしても許せなかったのは、これは産まれる前から(産まれたらやめると約束していた)だったのですが、毎週金曜日と土曜日の夜から朝方か昼前くらいまでうちで麻雀をしていました。

 

週末になるとガヤガヤうるさい日々が続き、そのうち長男が動き始めるようになり、ジャラジャラとうるさくしているから長男が興味を持って近づいて触ってしまうのに、その度に怒られ、酷い時は長男が何でも口に入れる時期に入った頃に、ガムを噛んだ後の紙に包んだゴミなども床に落としっぱなしにして帰られたり、勝手にうちに来て自分のご飯を作って洗い物だけ放置して帰られるとかもあり、しょっちゅうケンカになりました。

 

夜中の麻雀も声が大き過ぎるからもっと静かにしてほしい、とお願いしたのに全然静かにならず、そういった理由でケンカになる度に、私は真夜中やのに何度も息子と家出をして、近所を歩いたりもしました。

 

そうした生活はその家に住んでいた2年間も続いたのですが、2年更新をしないといけない時期に入る何か月か前に大家さんからこれ以上更新はできないという通知を受けて、引っ越しをしなければならなくなりました。

 

続きは次回書いていきたいと思います。

読んでいただき、ありがとうございました☺

 

 

 

 

旦那との出会いから結婚、1人目出産まで

こんにちは。

今回はこれから結婚している時に言われた言葉や行動について少しずつ書いていきたいので、出会いから1人目出産までについてを書きたいと思います。

 

私は現在旦那とは3年半近く別居をしているところです。

旦那との出会いは18歳の大学生の時で、当時私がアルバイトをしていた所に旦那の友人が働いていたので、その友人が出勤しているかどうかの確認をするために、声を掛けてきたのが旦那でした。

 

その時は特に何もなかったのですが、その日の夜に旦那から私のSNS宛てにメッセージがきて、そこからやり取りが始まったのが始まりでした。

 

そこからは何度かお互いの友人を交えて遊んだり、2人で遊んだりしながら毎日連絡を取り合っていました。

 

そこから1か月くらい経った頃に、旦那から微妙な告白をされて付き合うことになりました。

 

私は初めての彼氏やったこともあり、最初はとても幸せやったんですが、だんだんと遊ぶ時などの予定を決める時などで、女友達との予定を優先したくなったりして、会うのが億劫になり始めて、2か月くらいが経った頃に他の人に心が揺れた時期があり、その時に1度旦那と別れることにしました。

 

でもその期間に、旦那はすごい頑張ってアプローチをしてきて、別れて1か月くらいが経った頃にヨリを戻すことになり、そこからは毎日旦那と会うようになりました。

 

毎日大学が終わってから門限までの時間か、バイトがある日はバイトまでの時間に会ったりして、幸せには過ごしていたのですが、ある日旦那の裏アカウントみたいのを見つけてしまい、そこに書いてあった内容が、

やっぱり今まで出会った中で、元カノが一番かわいかったし、一生で一番元カノが大好きや!

という言葉でした。

 

あんなけアプローチしてきて、ヨリを戻したいと言っていたのに、手に入った途端これか、と思いショックを受けました。

 

それでもその時はそう思っただけと言う言葉を信じて、お付き合いを続けていきました。

 

そしてその3か月後くらいに徐々に悪阻みたいな症状が出始めて、妊娠が発覚しました。

その時まだ私は学生だったし、旦那は土日のみ学校に通うけどバイトも何もしていないニートだったしで、どうするか話し合いました。

 

その時言ってくれた言葉は、「俺はおろしてほしくはないけど、カトレアの思いもあるやろうし、できたら産んでほしいけど、無責任に産んでほしいとも言えへんから、カトレアはどうしたい?」と聞かれて、私は不安は確かにありましたが、迷うことなく産むことを決めました。

 

そこからは旦那は学校を卒業して、その後仕事を見つけて働き始めて、私は大学を中退して、お互いの実家への挨拶をしたり、顔合わせをしたり、6か月頃にはアルバイトもやめて、籍を入れたのですがまだ実家暮らしをしていました。

 

そこからもう少しで家を探し始めようという時に旦那が通勤途中に事故にあい、しばらく入院生活をすることになったので、毎日病院に通いました。

それが妊娠7か月~8か月頃に差し掛かった頃だったので、そこから出産予定日の2か月前ほどからやっと一緒に住み始めました。

 

最初は生活習慣の違いなどですごくケンカをしました。

それに元カノが一生で一番大好きと書いてあったことも、妊娠のホルモン的なものと、もともと引っかかっていたことにより、事あるごとに思い出して、すごくケンカをしました。

時には妊娠しているのにビンタをされたこともあり、だいぶ揉めたのですが、まだそれが初めてであったこともあり、何とかなっていました。

 

それから一緒に住み始めて1か月経った頃に、予定日よりもだいぶ早く、正期産に入って少し経ったくらいだったのですが、早朝におしるしがあり、母に言われて念のため病院に行ったら、出血量が多くて気づいていなかったのですが、もう破水もしていて、陣痛も15分間隔で来ていたのですぐに入院となり、その日の夜に長男が誕生しました。

私が陣痛で苦しんでいる間、実家の父や母、旦那もずっと付き添ってくれていました。

 

子宮口がなかなか開かず、お産に17時間かかってやっと出会えた息子はすごく可愛くて、感動しました。

正直死ぬほど痛いと思ったし、3分間隔から1分間隔の時間も長過ぎて、もう二度と出産はしたくないとその時は思いました。

 

それでも息子の顔を見た瞬間痛さも吹き飛んで、ただただ愛おしくて、すごく幸せな気持ちになりました。

 

産まれた後にすぐに、夜遅かったのにも関わらず、友人カップルも来てくれて、初めてのお産はすごく嬉しくて、感動するものとなりました。

 

この続きはこれから少しづつ書いていきたいと思います。