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子育てや離婚、恋愛についてなどを書いていきたいと思っています。

長男出産後からその後の生活その②~次男妊娠・引っ越し・入院・出産

こんばんは。今回は前回の続きを書いていきたいと思います。

 

前回2年更新はできないと大家さんから管理会社に言われ、私たちにもその通知が来たのですが、実はその頃次男を妊娠していました。

 

幸いなことに、長男の時は吐き気悪阻で何も食べれなくなり、匂いもダメになって1か月経たない内に体重が8kgも落ちたのですが、次男の時は吐き悪阻だったためごはんは食べれたし、ただ吐くだけで長男の時ほどひどくはありませんでした。

 

この頃には旦那は長男を放置して、毎日パチンコへ行っていました。

 

私も悪阻や長男の育児や引っ越しなどのこともあり、すごく不安定になっていて度々ケンカになって、ある日もう私への愛情はなくなって冷めてしまったのかと聞いた時に、「男には何も理由がなくても冷める時期があるねんししょうがないやん・・・」と言われて、この人には何を言っても無駄やし子どもにも私にも愛情なんてないんやと思い、しばらく話さない日々が続き、その間私は長男を1人で見て、時には歩いている時に悪阻で道端で嘔吐する日が増えていき、長男が不安そうに私を見ていることも多々あったのですが、なんとか悪阻の時期を乗り越えてついに府営団地への申し込み時期がきたので、実家の父に応募する会場まで送ってもらい、無事府営団地に応募することができました。

 

そしてしばらくして府営団地が当たったという知らせが来て、引っ越しの準備を少しづつ始めていったのですが、高校生になってから滅多に出ることがなかった喘息がある日また出はじめて、産婦人科で点滴を打ってもらったり薬をもらったりしながら過ごしていたのですが、ある日の夜中にすっごい息が苦しくて、呼吸をすることもしんどくて、すごく眠いのに横になると苦しくてどうしても我慢できなくなり、旦那に苦し過ぎて息ができないから今すぐ病院に行きたいと伝えたら「カトレアは大げさ過ぎ、どうせ大丈夫やろ」と言われ、それでもあまりに苦しかったから泣きながら病院に行きたいと伝えたら、すごくイライラしながら義母に電話をし始めて、そのまま旦那は眠りについて、私は義母に病院に連れて行ってもらうことになったのである程度用意をしていたらすぐに迎えに来てくれはって、車で「可哀そうに、本間に苦しそうやな」と言われ、無事産婦人科に到着してその日は点滴のため、入院することになりました。

 

そして翌日退院してそのまま総合病院に行き、喘息の吸引器をしてもらい、吸引器の薬などをもらって帰宅しました。

 

そこからはまた長男を見ながら引っ越しの準備に追われ、そうこうしていたら検診の日に切迫早産気味やからということで、病院からウテメリンの飲み薬が出されて、安静指示が出てしまったので、旦那にそのことを伝えて引っ越しの準備を手伝ってほしいと伝えたら、「分かったでー、また適当にするわ」と言ったにも関わらず一向にする気配もなく日にちだけが過ぎていき、その間にも何度ももう間に合わないと伝えたにも関わらず、結局何もしてくれず私が全部準備をすることになってしまいました。

 

そして無事引っ越しが終わって、片付けもほぼ私1人ですることになって、もうそろそろ次男が8か月に入る頃だったので衣装ケースなどの準備もしたいから衣装ケースを買いに行きたいと伝えたらこれも返事だけの「分かったで」だけで、結局義母と衣装ケースを買いに行って、旦那は何もしてくれずで、だんだんお腹の張りも強くなっていき、ついに検診の時に「子宮頚管が短くなっているから、もうこれ以上はあかん、今すぐ入院してもらいます」と先生に言われてしまい、1度荷物を取りに帰らせてほしいと言ったのですがダメやと言われたので旦那と実家に連絡をして、長男は実家に預かってもらい、旦那に荷物を持ってきてもらい入院生活が始まりました。

 

入院生活では、トイレ以外立ち歩いてはいけないと言われ、座るのも食事の時だけ。

点滴も何日間もずっと刺しっぱなしで、シャワーも許可がないと入れず、それでもあまりにもお腹の張りが治まらず点滴の数値が上がっていき、副作用の手の震えが出はじめて、最終的にはマックスまで点滴の数値が上がり、シャワーもほとんど許可が出ることはなく、それでも張りが治まることがなかったのでついに総合病院へと転院することになりました。

 

歩くこともだめだったため車椅子で病院内を移動をして、救急車で総合病院へと移動することになり、総合病院に着いてからも車椅子での移動となり、その頃はもう何が何だか分からずで、副作用もしんどいし、お腹も張って痛いし、点滴の針も痛いし、そのうち点滴をし過ぎて打つ場所がなくなっていき私の両腕は針の痕まみれになり、点滴薬が漏れて腕がパンパンに腫れたりもしながらもなんとかやり過ごしていたのですが、やっぱり長男ともこんなに離れたことがなくて心配やし、動くこともままならなかったので余計にストレスとなっていました。

 

でも実家の父母や義母や友人達もたくさんお見舞いに来てくれて、周りの人は赤ちゃんを産んで入院していはるのに、私はまだ産んでいないのに何でここにいるんやろう・・・って思うことも多々あったのですが、みんなで励ましてくれたりで、無事正期産に入る頃には退院することができて、すぐにもともと通っていた個人病院の方にも診察に行き、そこからは元の日常に戻ることができたました。

 

そしてある日また旦那が仕事の帰りに事故ったと連絡が入り、今回は足の骨折だけだったのですが、自宅やと不便やし私ももういつ陣痛がきてもおかしくない頃だったこともあり、私たち家族3人でしばらく旦那の実家でお世話になることになりました。

 

そしてその数日後に私もおしるしがきたのですぐに病院に行って、子宮口が8cm開いていたこともあり、即入院となったのですが胎児の顔の向きがあまり良くないとかで微弱陣痛が続き、結局その日の夜は本陣痛がくることはなく眠りにつきました。

 

そして翌日になってもなかなか本陣痛が来なくて、だいぶお腹の中の赤ちゃんが下がってきていたこともあり、先生が胎児の顔の向きを直してくれはることになり、直してもらってからはすぐに本陣痛が始まったため、実家や旦那に連絡をしてすぐに実家の父母が来て、本格的に1分間隔の陣痛が始まって5分くらい経った頃に旦那が長男を連れて病院にきて、その5分後くらいに旦那立ち合いのもとに次男が誕生しました。

 

2回目の出産は会陰切開をしてもらえたため、長男の時みたいに裂けることも腫れることもなく、本陣痛がきてからも10分くらいしか本気で痛いともならなかったしで1回目とは比べ物にならないくらい楽なお産でした。

 

それでも妊娠生活としては2回目の方が大変だったため、やっとでてきてくれた!という気持ちの方が大きくて、やっと少し安心することができました。

 

そして2年ぶりの新生児だったため、懐かしさが少しあって、長男の時を思い出しながら入院生活を送ることができました。

 

続きは次回書いていきたいと思います。

読んでいただきありがとうございました😊